2008年08月11日

狂気の愛の物語「赤い風船」







監督: アルベール・ラモリス
脚本: アルベール・ラモリス
撮影: エドモン・セシャン
音楽: モーリス・ルルー
出演: パスカル・ラモリス/シュザンヌ・クルーティエ


ネタバレあり。

ちいさな男の子と赤い風船。
どうみてもほのぼのした作品な(ハズ)なのだけど、
ホラー映画の見過ぎかなんかしらんが、
私には狂気の愛の物語に見えてしまった。

それには、ある1シーンが決定的に作用している。
そのシーンを観て、私は黒沢清の「叫び」を思い出した。
薄暗い部屋の中で赤い服を来た亡霊?(葉月里緒菜)が
役所広司にゆっくりと迫っていくシーンだ。

それがどのシーンだったかは、
ストーリーを追いながら説明しようと思う。


この映画は
 1日目で友情が芽生え、
 2日目で愛に変わり、
 3日目で愛が狂気に変わり、破滅へと向かうふたり。
というようなメロドラマな構成となっている。

2日目の途中までは間違いなく
少年と赤い風船のかわいらしい友情物語だ。
一緒に登校する姿はまるで犬の散歩のようだし、
途中からヒモを離してもついてくる風船が愛らしい。

問題は2日目の午後からだ。
放課後、蚤の市へ出かけたふたりは別々の行動をとる。
風船はやたら鏡の前でポーズをとり、
少年は自分と同じ歳まわりの少女の肖像画を見ている。
 少年は何を思ったのか?
 風船とその美しい少女の姿を重ねたのかもしれない。
そしてはっと気づいたかのようにお互いを探し始め、
そしてしっかりと手をつなぐふたり。

帰りに、青い風船を持った少女とすれ違う。
少年は少女に目もくれないが、
赤い風船は青い風船についていこうとする。浮気だ。
少年はあわてて彼ら(風船同士)を引き離す。

この二つのシーンで、観客は赤い風船がオンナであると確信する。

そして愛の巣に帰るふたり。
いじめっこ達がうらやましそうに見上げる中、部屋の窓をピシャっと閉める。
もう誰にも邪魔されないぞ!というかのように。
窓の向こう側で交わされる濃密な愛の育みはここでは語られない。

問題のシーンは3日目だ。
おばあさんと教会へ向かう少年のあとを、
置いてきぼりをくらったであろう風船がゆっくりと追っていく。
まるでストーカーのようにひっそり忍び寄り、
大胆にカメラに向かってずうっと近づいてゆく。

ここが冒頭で述べた黒沢清の「叫び」を連想したシーンなのだけど、
ここだけ映し方がまるでホラーで、私は迫り来る狂気を感じゾっとした。
そうでなくても少なからずハっとさせられるシーンじゃないだろうか。
というのも、この映画でここで初めて風船が大きくアップになるのだ。

続き。ここからはもう破滅への道まっしぐら。
駆け落ちするように教会をあとにする赤い風船と少年。
まるで「卒業」の花嫁を奪うシーンのようだ。(男女逆だが)
しかしまもなくいじめっ子に捕われの身となる風船。
少年はなんとか風船を取り戻すのだが、あえなく捕まってしまう二人。
暴行?を受ける少年。風船はその場を離れようとしない。
そしてゴムパッチン?でヤられてしまう。
そのしぼみよう、もだえて死んで行く姿が艶かしい。
冷や汗をかく病に伏した女のようである。 

安全靴で踏まれてとどめを刺される風船。
すると場面が変わって、
双子の少女の手から風船がぱっと飛び、(キューブリック?)
町中のカラフルな風船が少年の元に集まってくる。
そして少年は風船たちに連れられて空へと舞う。

映像的にはこれほどロマンチックでメルヘンチックな絵もないのだが、
同時にアンデルセンの童話の世界のような物悲しさもただよう。

私は最初に観たときからこのシーンに狂気を覚えた。
それが2回目に観た時、先に述べたシーンらのせいだと気づくのだが、
このラストは人によって受け取り方がだいぶ分かれる映画かもしれない。
それはつまり、いい映画ということなのだけど。

私は、風船たちが、それが風船と契りを交わした人間の宿命とでもいうかのように、
少年を陸の世界から自分たちの住む空の世界へ連れ去ったと受け取った。
それこそまさに狂気の沙汰だ。

しかし救われるのは少年の喜ばしい顔からわかるように、
彼は「白い馬」のラスト同様、望んでそうしたのである。

ヨーロッパらしいどこかもの悲しい、憂いを含んだ物語が、
ラストの煙がかったモノクロなパリの遠景に象徴されている気がした。



Posted by henry at 04:38│Comments(0)
 
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